校長室だより

2023年12月の記事一覧

令和5年度第2学期終業式講話より

令和5年度第2学期終業式講話

 

 皆さんおはようございます。(定時制課程向け:こんばんは)令和5年もあと少し(数日)を残すばかりです。様々な出来事を思い返しながら、新しい年を迎える準備をしていただければと思います。

 さて、令和6年(2024年)7月3日は何が行われる日でしょうか?
 20年ぶりに、お札(紙幣)日本銀行券の図柄が変更となります。

 千円札は、破傷風(世界中の土などの環境に存在します。土などで汚れた傷(きず)から、破傷風菌芽胞が入り込み、傷のなかの酸素のないところ(嫌気状態)で菌が増え、毒素を出す恐ろしい病気です。)を予防・治療する方法を開発した微生物学者で、「近代日本医学の父」と呼ばれている北里柴三郎を肖像に採用することになりました。柴三郎は、「医者の使命は病気を予防することにある」と確信するに至り、予防医学を生涯の仕事とする決意をしました。

 五千円札は、津田梅子(津田塾大学の創設者)アメリカ生活の中から、女性の地位に大きな差があることに衝撃を受け、奨学金制度や「女子英学塾(現在の津田塾大学)」を創設し、日本の女性の地位向上に尽力しました。当時の日本には、女性が高等教育を受ける機会はほとんどなく、自立にはほど遠い状況だったようです。

 そして一万円札はご存じの通り埼玉県にゆかりのある渋沢栄一です。会社設立や、大学の創設、慈善事業に従事した渋沢栄一の偉業については時間の関係上、この場でお話はしませんが、今回はこの3名を代表し、渋沢栄一の「欲を持つこと」について触れたいと思います。

 その前に、この3名に共通することとはいったい何でしょうか?答えは、広い視野を持っていたこと、海外の現状を日本に照らし合わせ、いかに日本の発想や現状が遅れをとっているのかを、早期に見抜いたことではないでしょうか。

 また、様々な挫折の中から自己の方向性を見出し、研究と修養を実践したところも同様です。

 渋沢栄一の人生は挫折と波乱万丈のものでした。

 挫折①

 元々は尊王攘夷派(天皇を敬い、外国人を日本から追い払う)の志士だったのに、若気の至りのクーデター(高崎城を乗っ取って幕府を倒す)に失敗して徳川慶喜に仕えることになった。

 挫折②

 第二のキャリアがスタートしたと思ったら、大政奉還(徳川慶喜が朝廷・明治天皇に政治をする権限を返還した出来事)でそこから先のキャリアが望めなくなった。

 挫折③

 明治政府で第三のキャリアがスタートして大蔵省のナンバー2まで上り詰めたものの、トップとぶつかって辞職することになった。

 渋沢栄一が度重なる挫折にもかかわらず、日本の経済力を高めることに貢献できたのは、未来を信じることができたからともいわれています。こうあるべきだ、こうありたいという野心に燃えていたからなのでしょう。

 

無欲は怠惰の基である

 

 欲がないのは現状に甘んじ、何も課題を見出さず、ただ受け入れている状態であることを、渋沢栄一は説いています。

 欲望を正しく使うか、悪く使うか、使い方によっては争いが起きる。渋沢栄一のみならず、前述した2人も同様、官尊民卑(政府が絶対で民間を見下す差別的な思想)の時代背景があった中、世の中をもっとよくしたい。世の中の人のために尽くしたい。民間の活力を向上させたいという大きな欲が、功績となって生まれたのだと思います。

 皆さんも是非現状に満足することなく、新たなステージ(学年があがる、卒業する、上級学校に行く、就職する)で幅広い分野で力を発揮することを、心より期待しています。

最後に

学問は一種の経験であり、経験はまた一種の学問である

                              渋沢栄一「学問と教育」より

 

 経験によって得られる理解は不可欠です。どんな時代でも、机上の理論だけでは太刀打ちできません。行うことはすなわち学ぶことです。